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« 甘くない話をしよう | 汎用性について »

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案外多い失読症

研究室が新設かつ少人数のため超新星爆発を起こし、扱うテーマが「数覚」「マインドフルネス」「温度サイン」「リスク知覚」「音韻象徴」などに飛散した結果、しゃばい作法についてしか突っ込めない役立たずになりつつありますクロキです。聞いてる分には面白いんですけどね。

さて昨日は意味形成のプロセスについて教えて貰いました。消しゴムを見てもそれが何かを発話出来ない患者さんに、手渡すと「これは消しゴムです」と答えられるという。視覚的意味理解と触覚的意味理解は別経路、という一例だと思うんですが、はて、これ私身に覚えがあります。

子供のころ、今思えば驚くほど潤沢に楽譜を与えられていました。腕前に応じて師をくるくる変えては計6、7人、先生ごと好みが有ったりして、同じ楽曲の楽譜を、春秋社とヘンレ版2冊所有していたりします。
しかし大変残念なことに、私は恐らく楽譜が読めていません。音符を眺めただけでは一向に、音韻が浮かばないのです(少なくとも言葉のようには)。ファラドミ、という音の並びを覚えているので、ト音記号の横の枠の、どこに当てはまるのかを数えれば、音符の指し示す意味は理解出来ます。しかしそれは自動的なものではない。楽譜は、私にとって、耳の奥に幽かに残る記憶を呼び戻すトリガ。初見奏法なんてもっての他。もしかするとこれ、失読症の一種なのかもしれません。音なら覚えられるんです。
世の中には、初見ですらすら弾ける方も居ますよね。メロディラインだけではなく伴奏等も平行処理しないといけないピアノや指揮の和音譜を、言葉のように容易く読める人たち。同時通訳者みたく、超人に見えます。羨ましい限りです。
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