生き物にとって,生きてゆくということは暇つぶし以上の何でしょうか?
特に人間のような比較的安全な生き物にとって.
なんだかソフィーの世界みたいですが.
QOL向上が叫ばれて激しい昨今ですが
で,方法論は??
とどうしても思ってしまいます.
主観量を客観観測できない以上
結局は「気の持ちようです」以上の帰着が無いわけです.それがもどかしい.
そこで曖昧に微笑んでいらっしゃるあなた,あなた本当に幸せですか?
長生きや健康,あるいは貯金の量などは
比較的相関の高い幸せのバロメータのように思われますが
私から見れば
何かはわからない「幸せ」というものが得られる可能性を将来に残す
という意味でのペンディング,予定調和的な匂いがします.
もっとオフェンシブなQOL,幸せの取得の方法論が知りたい.
幸せに成りたいのではなく,興味があります.
なんとなく,こう書くと幸せの定義だったり定量化だったりに
興味が有りそうに見えますが,そういうわけでもありません.
ただ,
幸せをモノで表現できた物質社会が過ぎ去った今
人々はポカンと「幸せってなんだろう...」と思いながら
まあいいや,ごはんたべよ,と予定調和的に生きて死ぬ.
それって生き物として正しいのですかね?
もちろん結果的に見えてくる幸せというものを否定するわけでも
足跡としてしか幸せはないという悲観的な考えを笑い飛ばすわけでもないのですが
どうもすんなり理解できません.
子供のころは楽しかったとか言いますけれど,
適応するのに精一杯だった時分に比べて成人して余裕の出来た
今のほうが楽しいに決まっている
単に,それを自信を持って開示して共感を得ることが出来ない現状が
不満なだけかもしれません.
幸せについて研究するのは私にとってはおこがましい事ですが
各人もう少し幸せについて真面目に考えていれば
今際の際で安楽な笑みを浮かべられるんじゃないですかね.
INTO THE WILDに影響されすぎですかね.
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