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案外多い失読症

研究室が新設かつ少人数のため超新星爆発を起こし、扱うテーマが「数覚」「マインドフルネス」「温度サイン」「リスク知覚」「音韻象徴」などに飛散した結果、しゃばい作法についてしか突っ込めない役立たずになりつつありますクロキです。聞いてる分には面白いんですけどね。

さて昨日は意味形成のプロセスについて教えて貰いました。消しゴムを見てもそれが何かを発話出来ない患者さんに、手渡すと「これは消しゴムです」と答えられるという。視覚的意味理解と触覚的意味理解は別経路、という一例だと思うんですが、はて、これ私身に覚えがあります。

子供のころ、今思えば驚くほど潤沢に楽譜を与えられていました。腕前に応じて師をくるくる変えては計6、7人、先生ごと好みが有ったりして、同じ楽曲の楽譜を、春秋社とヘンレ版2冊所有していたりします。
しかし大変残念なことに、私は恐らく楽譜が読めていません。音符を眺めただけでは一向に、音韻が浮かばないのです(少なくとも言葉のようには)。ファラドミ、という音の並びを覚えているので、ト音記号の横の枠の、どこに当てはまるのかを数えれば、音符の指し示す意味は理解出来ます。しかしそれは自動的なものではない。楽譜は、私にとって、耳の奥に幽かに残る記憶を呼び戻すトリガ。初見奏法なんてもっての他。もしかするとこれ、失読症の一種なのかもしれません。音なら覚えられるんです。
世の中には、初見ですらすら弾ける方も居ますよね。メロディラインだけではなく伴奏等も平行処理しないといけないピアノや指揮の和音譜を、言葉のように容易く読める人たち。同時通訳者みたく、超人に見えます。羨ましい限りです。
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学校 : Comment (0)

汎用性について

タッチセンサの普及に伴い、機械式のボタンを配置する必要性が減った結果、
タブレットなどが汎用機として様々な用途に導入されるようになりました。
例えば今や、専用コントローラを握りしめなくても
スマホでゲームが可能になったわけです。

さてこの便利な方向への進化が
コミュニケーションコストを上げている、という話。

以降、ご興味あれば。

雑事 : Comment (0)

色と距離

色はモノを特徴づける重要な要素です.
我々の感覚は,色と形を別々に処理しますが,
最終的には「モノ」として認識している
当たり前の事ですが,ここには不思議が有ります.
(少なくとも私には,そう思えます)

眼球の奥に広がる網膜に映る像
つまり脳へ渡される視覚イメージのネガは,2次元の情報の羅列です.
(ここで私がイメージするのは,
 映画MATRIXでキアヌリーブスが見ていた蛍光緑の数字の流れです.)
もちろん眼球は2つあるので
3次元の情報を再構成することは可能です.が,それは再構成です.

何故今更そのことを考えているかと言うと,
色の知覚は,距離(奥行き情報)と紐づいているのではないか,と
爪に赤い色を乗せてみて思ったからです.

以降、ご興味あれば。

研究 : Comment (0)

定義

久し振りにペンを執ります。
電子媒体を介するのに、変な比喩表現ですが
例えば私は今でも、慣れない数式を書くときなど
鉛筆を削るところから始めるため
可能であればこの作業もペンを握りたい心持ちです。

以降、ご興味あれば。

雑事

ふと論文執筆について

以前見た映画の原作本の評価が高かったので,家人にお勧めしたところ
パラパラと項をめくり,一言
「うん,わかった.だいたい映画と同じ筋だね.」
頷いてパタンと本を閉じました.

驚きました.
筋書きが同じならば読まなくとも良いという理論です.
メディアが違うのに,です.
この人は,オランダのゴッホ美術館に足を運んでも
「うんうん,美術の資料集で見たこと有る絵だね.」
と,5分で出てきてしまうのではないでしょうか.
あるいは
「ふむ,絵画の方が黄の彩度が高いね」
などと解析するのでしょうか.

論文を書くということは,どういう事でしょうか.
今,わたしはそれを
数学の証明において数式を連ねる作業とは,少し異なると思っています.
(証明に関して門外漢なので,誤った解釈かもしれませんが.)
つまり,
「論文の筋は論理的に運ばれなければならない.」
とは言えますが
「論理的でありさえすれば論文である」
とは言えないと思うのです.少なくとも,良いものに関しては,です.

以降,興味があれば.

研究 : Comment (0)